東レプラスチック精工とは

当社のプラスチック丸棒はいかにして誕生したのでしょうか?

押出素材のプラスチック丸棒はドイツからの技術導入によって生まれました。

押出成形品

昭和36年(1961年)にドイツのシュレーター・ウント・スターデルマン社(略称:SST社)と技術提携を行い、昭和37年(1962年)にナイロンでの国内初の丸棒を、当社が量産開始しました。ちょうど米国のケネディ大統領が、キューバに対する海上封鎖の声明を出した所謂、“キューバ危機”の年にあたります。この丸棒誕生を記念して、会社発足時の当社の社章は、SST社の社章と東レの糸巻きボビンの形を組み合わせて作製されたほどです。
また、社内では、現在でも、丸棒製品の事を“SST”という名称で呼んでいます。
当時の関係者の苦労とドイツのプラ押出量産加工技術力がいかに優れていたかを物語るエピソードです。
現在までに至る約半世紀の会社としての礎は、この丸棒によって築かれました。
この丸棒のドイツからの技術導入時の経緯から、当社は、東洋レーヨン(株)/現東レ、極東貿易(株)、臼井国際産業(株)3社の出資により、昭和36年(1961年)に設立されました。

当社のメイン工場である三島工場の昔の姿は?

当社主力工場の三島工場は、なんと第二次世界大戦時の海軍の無線訓練所の跡地です。

三島工場

戦後、民間に払い下げられ、いも畑になっていた場所を工場にしました。
富士山の地下水が湧き出す柿田川が狩野川に合流したすぐ下流に、三島工場は位置しています。柿田川は水量が豊富なことでも有名です。元々、海軍が施設に選んだ程の場所ですから、米軍の艦砲射撃の砲弾の嵐にも耐えられるほど土地地盤が強固で、かつ富士山系の地下水が豊富で、工場立地としては申し分のない場所だったそうです。工場近くには、水のきれいな柿田川の川辺を散策する人気観光スポットもあります。

当社は自社の特徴や強みをどうPRしているのでしょうか?

当社は高機能プラスチック展などの外部展示会に連続出展し、企業および製品&加工技術PRに努めています。

展示会

当社は、代表的なエンプラメーカーである東レグループのモルダーとしての特質を最大限に生かし、

  • (1) 高機能部品を中心とした射出成形
  • (2) エンプラ素材を主力にした押出成形
  • (3) エンプラ特殊グレードを中心としたコンパウンド

を三本柱とし、3つの分野を有機的に発展させ、“NO1総合エンプラモルダー”を目指し努力している姿を、毎年、高機能プラスチック展などの有力外部展示会を通して、積極的にお客様にPRしています。
その出展製品や展示パネルなどの一部を本欄でもご紹介します。